私が初めて四国に来たのは、2006年の秋。1200年の歴史を持つ八十八ヶ所巡礼を歩くためでした。この度は二度目の訪日です。最初の旅は東京を中心の短いもので特筆することはありません。
以前日本食レストランで働いていたこともありましたが、当時は日本に関する知識も言葉も初歩的なものでした。 なぜ遍路道を歩こうと思ったのか、今では思い出せません。たぶん何かで知ったのでしょう。日本についてのドキュメンタリー番組で見たのか、あるいはネットでお遍路記事を読んだのか。
ただ何を見たのか覚えていなくても、その瞬間に「絶対に行く!」と決めたことは今でも鮮明に覚えています。
その後、ある程度の貯金が貯まったことを確認した私は会社を辞め、日本への航空券を購入しました。その決断が、私の人生にここまで大きな影響を与えるとは知る故もありませんでしたが。
四国巡礼を歩く旅はまるで嵐のような体験で、これまでの旅とは全く異なる初めての経験の連続でした。
精神的な探求、息を呑むような景色、興味深い人々との素晴らしい出会い、そしてハードなフィジカル的負荷。
最もエキサイティングだったのは、巡礼を巡る2ヶ月間、ひたすら歩き続けて行く先々でいつも親切な人たちに出会い、私に大きな驚きを与えてくれたことです。
爽やかな笑顔で食物や飲物を与えてくださり、励ましの言葉をかけ気持ちを高めてくれたりもしました。戦争や欲望や暴力が渦巻く現代社会において私はこの地元の人々に驚かされました。
見知らぬ人に積極的に親切にする文化。
もちろん大変なこともありました。一日中降り続く土砂降りの中を歩き、途中から足と肩が痛み私を苦しめました。
しかしそうしたすべての経験は私を確実に成長させました。
四国遍路を歩き続けて日や週が経つにつれ、私はただただ歩くことに夢中になりました。アメリカでの生活や帰国後のことについて考えることは無くなり、私の関心はただ歩くことだけにありました。遠くを見ることなく、その日の宿泊先が決まることに安堵する、そうした毎日でした。
そして、そうした中で突然現れる広大な太平洋を見つめる瞬間や、霧に覆われた山の頂上で完全に生きていることを実感したことは今でも忘れられない原体験です。
そしてようやく最初の寺にたどり着きスタート地点に戻ったとき、私は数年ぶりに涙で顔を濡らしました。
自然と涙が溢れ出た原因ですが、やっとの思いで最後までやり遂げた達成感よりも、終わってしまった悲しさのほうが多く含まれていたように思います。
四国を訪れて、四国を好きになる人を表す言葉があります。
「四国病」
間違いなく私はこの病に発症していました。
20代前半の頃、初めての海外旅行にてヨーロッパを中心に多くの国をバックパックで巡りました。当時はパスポートの入管スタンプを一杯にして、世界中を旅する自分を想像していました。
しかし、四国での経験は、私の考えを変えました。
人生は短く、世界中全ての場所に行けるわけではないということに気付き、多くの国を巡るよりむしろ好きな地域を深く経験したいと思いました。
そう、私は四国に戻りたかったのです。
結局、その後の数年で私は3度八十八カ所の寺院を巡りました。季節の違いを楽しむために春と秋。そして3回目には逆打ちを楽しみました。
観光ビザの切れる90日が経つと外国人でも比較的容易にアルバイトができる韓国へのチケットを買いました。有機農園でボランティアをしたり、英語カフェで働いたり、ゲストハウスの住み込みのアルバイトをしてまた四国に戻る生活をしました。
そうした旅の中、高知でのある経験が以前から浮かんでいた私の考えを決定付けました。
自分の家に滞在するよう招待してくれたある家族のご厚意に応じ数日間彼らの家で過ごした日々は、本当に大きくポジティブな経験となりました。彼らは私を本当の家族のように扱ってくれ、彼らのフレンドリーな友人たちと過ごし、いつの間にか私はそこをホームのように感じ始めていました。
そして私はついに日本に移住することを決意し、英語講師の職を手にして6年間、高知で過ごしました。
その間も暇さえあれば四国の山を登り、いろんな人に会いに行き、数えきれない食堂を巡り、そして今年から英語ガイドとして皆様をご案内することになりました。
世界が再び開かれつつある今、多くの人が高知を訪れてくれることを願っています。と同時にこの特別な県が持つ素晴らしさを提供できるよう、私自身、これからも高知を深く探求していきたいと決意しています。 私の経験を活かして、この地での旅の素敵な思い出作りにお役に立てればこれ以上ない幸せです。
高知・四国に何度でも来たくなる。この病の治療法はありません。唯一、実際に旅して免疫を強くすることでしょう。